た。それからその糸をなお遠く延ばして、これは位牌にもならずに流れてしまった、始めから形のない、ぼんやりした影のような死児の上に投げかけた。御米は広島と福岡と東京に残る一つずつの記憶の底に、動かしがたい運命の厳《おごそ》かな支配を認めて、その厳かな支配の下《もと》に立つ、幾月日《いくつきひ》の自分を、不思議にも同じ不幸を繰り返すべく作られた母であると観じた時、時ならぬ呪詛《のろい》の声を耳の傍《はた》に聞いた。彼女が三週間の安静を、蒲団《ふとん》の上に貪《むさ》ぼらなければならないように、生理的に強《し》いられている間、彼女の鼓膜はこの呪詛の声でほとんど絶えず鳴っていた。三週間の安臥は、御米に取って実に比類のない忍耐の三週間であった。
 御米はこの苦しい半月余りを、枕の上でじっと見つめながら過ごした。しまいには我慢して横になっているのが、いかにも苛《つら》かったので、看護婦の帰った明《あく》る日に、こっそり起きてぶらぶらして見たが、それでも心に逼《せま》る不安は、容易に紛《まぎ》らせなかった。退儀《たいぎ》な身体《からだ》を無理に動かす割に、頭の中は少しも動いてくれないので、また落胆《が
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