っか》りして、ついには取り放しの夜具の下へ潜《もぐ》り込んで、人の世を遠ざけるように、眼を堅く閉《つぶ》ってしまう事もあった。
 そのうち定期の三週間も過ぎて、御米の身体は自《おのず》からすっきりなった。御米は奇麗《きれい》に床を払って、新らしい気のする眉《まゆ》を再び鏡に照らした。それは更衣《ころもがえ》の時節であった。御米も久しぶりに綿の入《い》った重いものを脱《ぬ》ぎ棄《す》てて、肌に垢《あか》の触れない軽い気持を爽《さわ》やかに感じた。春と夏の境をぱっと飾る陽気な日本の風物は、淋《さむ》しい御米の頭にも幾分かの反響を与えた。けれども、それはただ沈んだものを掻《か》き立てて、賑《にぎ》やかな光りのうちに浮かしたまでであった。御米の暗い過去の中にその時一種の好奇心が萌《きざ》したのである。
 天気の勝《すぐ》れて美くしいある日の午前、御米はいつもの通り宗助を送り出してから直《じき》に、表へ出た。もう女は日傘《ひがさ》を差して外を行くべき時節であった。急いで日向《ひなた》を歩くと額の辺《あたり》が少し汗ばんだ。御米は歩き歩き、着物を着換える時、箪笥を開けたら、思わず一番目の抽出の底に
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