人の共有していた事実についてではなかった。彼女は三度目の胎児を失った時、夫からその折の模様を聞いて、いかにも自分が残酷な母であるかのごとく感じた。自分が手を下《くだ》した覚がないにせよ、考えようによっては、自分と生を与えたものの生を奪うために、暗闇《くらやみ》と明海《あかるみ》の途中に待ち受けて、これを絞殺《こうさつ》したと同じ事であったからである。こう解釈した時、御米は恐ろしい罪を犯した悪人と己《おのれ》を見傚《みな》さない訳に行かなかった。そうして思わざる徳義上の苛責《かしゃく》を人知れず受けた。しかもその苛責を分って、共に苦しんでくれるものは世界中に一人もなかった。御米は夫にさえこの苦しみを語らなかったのである。
彼女はその時普通の産婦のように、三週間を床の中で暮らした。それは身体《からだ》から云うと極《きわ》めて安静の三週間に違なかった。同時に心から云うと、恐るべき忍耐の三週間であった。宗助は亡児のために、小さい柩《ひつぎ》を拵《こし》らえて、人の眼に立たない葬儀を営なんだ。しかる後、また死んだもののために小さな位牌《いはい》を作った。位牌には黒い漆《うるし》で戒名《かいみょ
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