った。けれどもなかば以上は御米の落度《おちど》に違なかった。臍帯纏絡の変状は、御米が井戸端で滑って痛く尻餅《しりもち》を搗《つ》いた五カ月前すでに自《みずか》ら醸《かも》したものと知れた。御米は産後の蓐中《じょくちゅう》にその始末を聞いて、ただ軽く首肯《うなず》いたぎり何にも云わなかった。そうして、疲労に少し落ち込んだ眼を霑《うる》ませて、長い睫毛《まつげ》をしきりに動かした。宗助は慰さめながら、手帛《ハンケチ》で頬に流れる涙を拭《ふ》いてやった。
これが子供に関する夫婦の過去であった。この苦《にが》い経験を甞《な》めた彼らは、それ以後幼児について余り多くを語るを好まなかった。けれども二人の生活の裏側は、この記憶のために淋《さむ》しく染めつけられて、容易に剥《は》げそうには見えなかった。時としては、彼我《ひが》の笑声を通してさえ、御互の胸に、この裏側が薄暗く映る事もあった。こういう訳だから、過去の歴史を今夫に向って新たに繰り返そうとは、御米も思い寄らなかったのである。宗助も今更妻からそれを聞かせられる必要は少しも認めていなかったのである。
御米の夫に打ち明けると云ったのは、固より二
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