わ》では、室内に煖炉《だんろ》を据えつける設備をするだけでも容易ではなかった。夫婦はわが時間と算段の許す限りを尽して、専念に赤児の命を護《まも》った。けれどもすべては徒労に帰した。一週間の後、二人の血を分けた情《なさけ》の塊《かたまり》はついに冷たくなった。御米は幼児の亡骸《なきがら》を抱《だ》いて、
「どうしましょう」と啜《すす》り泣いた。宗助は再度の打撃を男らしく受けた。冷たい肉が灰になって、その灰がまた黒い土に和《か》するまで、一口も愚痴《ぐち》らしい言葉は出さなかった。そのうちいつとなく、二人の間に挟《はさ》まっていた影のようなものが、しだいに遠退《とおの》いて、ほどなく消えてしまった。
 すると三度目の記憶が来た。宗助が東京に移って始ての年に、御米はまた懐妊したのである。出京の当座は、だいぶん身体《からだ》が衰ろえていたので、御米はもちろん、宗助もひどくそこを気遣《きづか》ったが、今度こそはという腹は両方にあったので、張のある月を無事にだんだんと重ねて行った。ところがちょうど五月目《いつつきめ》になって、御米はまた意外の失敗《しくじり》をやった。その頃はまだ水道も引いてなかっ
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