ひ》くために口にした、故意の観察でないのだから、こう改たまって聞き糺《ただ》されると、困るよりほかはなかった。
「何も宅《うち》の事を云ったのじゃないよ」
 この返事を受けた御米は、しばらく黙っていた。やがて、
「でも宅の事を始終淋しい淋しいと思っていらっしゃるから、必竟《つまり》あんな事をおっしゃるんでしょう」と前とほぼ似たような問を繰り返した。宗助は固《もと》よりそうだと答えなければならない或物を頭の中に有《も》っていた。けれども御米を憚《はばか》って、それほど明白地《あからさま》な自白をあえてし得なかった。この病気上りの細君の心を休めるためには、かえってそれを冗談《じょうだん》にして笑ってしまう方が善《よ》かろうと考えたので、
「淋しいと云えば、そりゃ淋しくないでもないがね」と調子を易《か》えてなるべく陽気に出たが、そこで詰まったぎり、新らしい文句も、面白い言葉も容易に思いつけなかった。やむを得ず、
「まあいいや。心配するな」と云った。御米はまた何とも答えなかった。宗助は話題を変えようと思って、
「昨夕《ゆうべ》も火事があったね」と世間話をし出した。すると御米は急に、
「私は実に
前へ 次へ
全332ページ中189ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング