「買っておくれ」という言葉をしきりに繰り返した。そりゃ高いよいくらいくらに御負けなどと云われると、「値じゃねえね」とか、「拝むからそれで買っておくれ」とか、「まあ目方を見ておくれ」とかすべて異様な田舎《いなか》びた答をした。そのたびに皆《みんな》が笑った。主人夫婦はまた閑《ひま》だと見えて、面白半分にいつまでも織屋を相手にした。
「織屋、御前そうして荷を背負《しょ》って、外へ出て、時分どきになったら、やっぱり御膳《ごぜん》を食べるんだろうね」と細君が聞いた。
「飯を食わねえでいられるもんじゃないよ。腹の減る事ちゅうたら」
「どんな所で食べるの」
「どんな所で食べるちゅうて、やっぱり茶屋で食うだね」
主人は笑いながら茶屋とは何だと聞いた。織屋は、飯を食わす所が茶屋だと答えた。それから東京へ出立《でたて》には飯が非常に旨《うま》いので、腹を据《す》えて食い出すと、大抵の宿屋は叶《かな》わない、三度三度食っちゃ気の毒だと云うような事を話して、また皆《みんな》を笑わした。
織屋はしまいに撚糸《よりいと》の紬《つむぎ》と、白絽《しろろ》を一匹《いっぴき》細君に売りつけた。宗助はこの押しつまっ
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