《たんもの》を背負《しょ》ってわざわざ東京まで出て来る男なんです」と坂井の主人が紹介すると、男は宗助の方を向いて、
「どうか旦那、一つ買っておくれ」と挨拶《あいさつ》をした。
 なるほど銘仙《めいせん》だの御召《おめし》だの、白紬《しろつむぎ》だのがそこら一面に取り散らしてあった。宗助はこの男の形装《なり》や言葉遣《ことばづかい》のおかしい割に、立派な品物を背中へ乗せて歩行《ある》くのをむしろ不思議に思った。主人の細君の説明によると、この織屋の住んでいる村は焼石ばかりで、米も粟《あわ》も収《と》れないから、やむを得ず桑《くわ》を植えて蚕《かいこ》を飼うんだそうであるが、よほど貧しい所と見えて、柱時計を持っている家が一軒だけで、高等小学へ通う小供が三人しかないという話であった。
「字の書けるものは、この人ぎりなんだそうですよ」と云って細君は笑った。すると織屋も、
「本当のこんだよ、奥さん。読み書き算筆《さんぴつ》のできるものは、おれよりほかにねえんだからね。全く非道《ひど》い所にゃ違ない」と真面目に細君の云う事を首肯《うけが》った。
 織屋はいろいろの反物を主人や細君の前へ突きつけては、
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