ましてもらって、それを袂《たもと》へ入れた。奇麗《きれい》な床屋へ行って、髪を刈りたくなったが、どこにそんな奇麗なのがあるか、ちょっと見つからないうちに、日が限《かぎ》って来たので、また電車へ乗って、宅《うち》の方へ向った。
 宗助が電車の終点まで来て、運転手に切符を渡した時には、もう空の色が光を失いかけて、湿った往来に、暗い影が射《さ》し募《つの》る頃であった。降りようとして、鉄の柱を握ったら、急に寒い心持がした。いっしょに降りた人は、皆《みん》な離れ離れになって、事あり気に忙がしく歩いて行く。町のはずれを見ると、左右の家の軒から家根《やね》へかけて、仄白《ほのしろ》い煙りが大気の中に動いているように見える。宗助も樹《き》の多い方角に向いて早足に歩を移した。今日の日曜も、暢《のん》びりした御天気も、もうすでにおしまいだと思うと、少しはかないようなまた淋《さみ》しいような一種の気分が起って来た。そうして明日《あした》からまた例によって例のごとく、せっせと働らかなくてはならない身体《からだ》だと考えると、今日半日の生活が急に惜しくなって、残る六日半《むいかはん》の非精神的な行動が、いかに
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