もつまらなく感ぜられた。歩いているうちにも、日当の悪い、窓の乏しい、大きな部屋の模様や、隣りに坐《すわ》っている同僚の顔や、野中さんちょっとと云う上官の様子ばかりが眼に浮かんだ。
 魚勝と云う肴屋《さかなや》の前を通り越して、その五六軒先の露次《ろじ》とも横丁ともつかない所を曲ると、行き当りが高い崖《がけ》で、その左右に四五軒同じ構《かまえ》の貸家が並んでいる。ついこの間までは疎《まば》らな杉垣の奥に、御家人《ごけにん》でも住み古したと思われる、物寂《ものさび》た家も一つ地所のうちに混《まじ》っていたが、崖の上の坂井《さかい》という人がここを買ってから、たちまち萱葺《かやぶき》を壊して、杉垣を引き抜いて、今のような新らしい普請《ふしん》に建て易《か》えてしまった。宗助の家《うち》は横丁を突き当って、一番奥の左側で、すぐの崖下だから、多少陰気ではあるが、その代り通りからはもっとも隔っているだけに、まあ幾分か閑静だろうと云うので、細君と相談の上、とくにそこを択《えら》んだのである。
 宗助は七日《なのか》に一返の日曜ももう暮れかかったので、早く湯にでも入《い》って、暇があったら髪でも刈って
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