かった。時には変な間違をさえした。宗助《そうすけ》は午《ひる》になるのを待って、思い切って宅《うち》へ帰って来た。
 電車の中では、御米の眼がいつ頃|覚《さ》めたろう、覚めた後は心持がだいぶ好くなったろう、発作《ほっさ》ももう起る気遣《きづかい》なかろうと、すべて悪くない想像ばかり思い浮べた。いつもと違って、乗客の非常に少ない時間に乗り合わせたので、宗助は周囲の刺戟《しげき》に気を使う必要がほとんどなかった。それで自由に頭の中へ現われる画を何枚となく眺《なが》めた。そのうちに、電車は終点に来た。
 宅の門口《かどぐち》まで来ると、家の中はひっそりして、誰もいないようであった。格子《こうし》を開けて、靴を脱いで、玄関に上がっても、出て来るものはなかった。宗助はいつものように縁側《えんがわ》から茶の間へ行かずに、すぐ取付《とっつき》の襖《ふすま》を開けて、御米の寝ている座敷へ這入《はい》った。見ると、御米は依然として寝ていた。枕元の朱塗の盆に散薬《さんやく》の袋と洋杯が載《の》っていて、その洋杯《コップ》の水が半分残っているところも朝と同じであった。頭を床の間の方へ向けて、左の頬と芥子《か
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