とんど器械的に、同じ所へ手を出した。そうして御米の抑えている上から、固く骨の角《かど》を攫《つか》んだ。
「もう少し後《うしろ》の方」と御米が訴えるように云った。宗助の手が御米の思う所へ落ちつくまでには、二度も三度もそこここと位置を易《か》えなければならなかった。指で圧《お》してみると、頸《くび》と肩の継目の少し背中へ寄った局部が、石のように凝《こ》っていた。御米は男の力いっぱいにそれを抑えてくれと頼んだ。宗助の額からは汗が煮染《にじ》み出した。それでも御米の満足するほどは力が出なかった。
 宗助は昔の言葉で早打肩《はやうちかた》というのを覚えていた。小さい時|祖父《じじい》から聞いた話に、ある侍《さむらい》が馬に乗ってどこかへ行く途中で、急にこの早打肩《はやうちかた》に冒《おか》されたので、すぐ馬から飛んで下りて、たちまち小柄《こづか》を抜くや否《いな》や、肩先を切って血を出したため、危うい命を取り留めたというのがあったが、その話が今明らかに記憶の焼点《しょうてん》に浮んで出た。その時宗助はこれはならんと思った。けれどもはたして刃物を用いて、肩の肉を突いていいものやら、悪いものやら、
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