御米はだいぶいいようだったので、床を上げて貰って、火鉢に倚《よ》ったなり、宗助の帰りを待ち受けた。
宗助は例刻に帰って来た。神田の通りで、門並《かどなみ》旗を立てて、もう暮の売出しを始めた事だの、勧工場《かんこうば》で紅白の幕を張って楽隊に景気をつけさしている事だのを話した末、
「賑《にぎ》やかだよ。ちょっと行って御覧。なに電車に乗って行けば訳はない」と勧めた。そうして自分は寒さに腐蝕《ふしょく》されたように赤い顔をしていた。
御米はこう宗助から労《いた》わられた時、何だか自分の身体の悪い事を訴たえるに忍びない心持がした。実際またそれほど苦しくもなかった。それでいつもの通り何気《なにげ》ない顔をして、夫に着物を着換えさしたり、洋服を畳んだりして夜《よ》に入《い》った。
ところが九時近くになって、突然宗助に向って、少し加減が悪いから先へ寝たいと云い出した。今まで平生の通り機嫌よく話していただけに、宗助はこの言葉を聞いてちょっと驚ろいたが、大した事でもないと云う御米の保証に、ようやく安心してすぐ休む支度をさせた。
御米が床《とこ》へ這入《はい》ってから、約二十分ばかりの間、宗助は耳
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