るのが厭《いや》になって行き過ぎた。呉服店でもだいぶ立見をした。鶉御召《うずらおめし》だの、高貴織《こうきおり》だの、清凌織《せいりょうおり》だの、自分の今日《こんにち》まで知らずに過ぎた名をたくさん覚えた。京都の襟新《えりしん》と云う家《うち》の出店の前で、窓硝子《まどガラス》へ帽子の鍔《つば》を突きつけるように近く寄せて、精巧に刺繍《ぬい》をした女の半襟《はんえり》を、いつまでも眺《なが》めていた。その中《うち》にちょうど細君に似合いそうな上品なのがあった。買って行ってやろうかという気がちょっと起るや否《いな》や、そりゃ五六年|前《ぜん》の事だと云う考が後《あと》から出て来て、せっかく心持の好い思いつきをすぐ揉《も》み消してしまった。宗助は苦笑しながら窓硝子を離れてまた歩き出したが、それから半町ほどの間は何だかつまらないような気分がして、往来にも店先にも格段の注意を払わなかった。
ふと気がついて見ると角に大きな雑誌屋があって、その軒先には新刊の書物が大きな字で広告してある。梯子《はしご》のような細長い枠《わく》へ紙を張ったり、ペンキ塗の一枚板へ模様画みたような色彩を施こしたりして
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