がたくさんあると云う事だけを、同じく小六を通じて耳にした。写真にせよ顔を知ってるのは小六ばかりであった。
「好い器量?」と御米が聞いた事がある。
「まあ好い方でしょう」と小六が答えた事がある。
 その晩はなぜ暮のうちに式を済まさないかと云うのが、蕎麦掻のでき上る間、三人の話題になった。御米は方位でも悪いのだろうと臆測《おくそく》した。宗助は押しつまって日がないからだろうと考えた。独《ひと》り小六だけが、
「やっぱり物質的の必要かららしいです。先が何でもよほど派出《はで》な家《うち》なんで、叔母さんの方でもそう単簡《たんかん》に済まされないんでしょう」といつにない世帯染みた事を云った。

        十一

 御米《およね》のぶらぶらし出したのは、秋も半《なか》ば過ぎて、紅葉《もみじ》の赤黒く縮《ちぢ》れる頃であった。京都にいた時分は別として、広島でも福岡でも、あまり健康な月日を送った経験のない御米は、この点に掛けると、東京へ帰ってからも、やはり仕合せとは云えなかった。この女には生れ故郷の水が、性《しょう》に合わないのだろうと、疑ぐれば疑ぐられるくらい、御米は一時悩んだ事もあった。

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