えた。そのうち、障子だけがただ薄白く宗助の眼に映るように、部屋の中が暮れて来た。彼はそれでもじっとして動かずにいた。声を出して洋灯《ランプ》の催促もしなかった。
 彼が暗い所から出て、晩食《ばんめし》の膳《ぜん》に着いた時は、小六も六畳から出て来て、兄の向うに坐《すわ》った。御米は忙しいので、つい忘れたと云って、座敷の戸を締《し》めに立った。宗助は弟に夕方になったら、ちと洋灯《ランプ》を点《つ》けるとか、戸を閉《た》てるとかして、忙《せわ》しい姉の手伝でもしたら好かろうと注意したかったが、昨今引き移ったばかりのものに、気まずい事を云うのも悪かろうと思ってやめた。
 御米が座敷から帰って来るのを待って、兄弟は始めて茶碗に手を着けた。その時宗助はようやく今日役所の帰りがけに、道具屋の前で坂井に逢った事と、坂井があの大きな眼鏡《めがね》を掛けている道具屋から、抱一《ほういつ》の屏風《びょうぶ》を買ったと云う話をした。御米は、
「まあ」と云ったなり、しばらく宗助の顔を見ていた。
「じゃきっとあれよ。きっとあれに違ないわね」
 小六は始めのうち何にも口を出さなかったが、だんだん兄夫婦の話を聞いて
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