だそうである。瓦解《がかい》の際、駿府《すんぷ》へ引き上げなかったんだとか、あるいは引き上げてまた出て来たんだとか云う事も耳にしたようであるが、それは判然《はっきり》宗助の頭に残っていなかった。
「小さい内から悪戯《いたずら》ものでね。あいつが餓鬼大将《がきだいしょう》になってよく喧嘩《けんか》をしに行った事がありますよ」と坂井は御互の子供の時の事まで一口|洩《も》らした。それがまたどうして崋山の贋物《にせもの》を売り込もうと巧《たく》んだのかと聞くと、坂井は笑って、こう説明した。――
「なに親父《おやじ》の代から贔屓《ひいき》にしてやってるものですから、時々|何《なん》だ蚊《か》だって持って来るんです。ところが眼も利《き》かない癖に、ただ慾ばりたがってね、まことに取扱い悪《にく》い代物《しろもの》です。それについこの間抱一の屏風を買って貰って、味を占めたんでね」
 宗助は驚ろいた。けれども話の途中を遮《さえ》ぎる訳に行かなかったので、黙っていた。坂井は道具屋がそれ以来乗気になって、自身に分りもしない書画類をしきりに持ち込んで来る事やら、大坂出来の高麗焼《こうらいやき》を本物だと思って
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