た。
それから二日ばかりして、坂井の名刺を添えた立派な菓子折を持って、下女が礼に来たが、せんだってはいろいろ御世話になりまして、ありがとう存じます、いずれ主人が自身に伺うはずでございますがと云いおいて、帰って行った。
その晩宗助は到来の菓子折の葢《ふた》を開けて、唐饅頭《とうまんじゅう》を頬張《ほおば》りながら、
「こんなものをくれるところをもって見ると、それほど吝《けち》でもないようだね。他《ひと》の家《うち》の子をブランコへ乗せてやらないって云うのは嘘だろう」と云った。御米も、
「きっと嘘よ」と坂井を弁護した。
夫婦と坂井とは泥棒の這入《はい》らない前より、これだけ親しみの度が増したようなものの、それ以上に接近しようと云う念は、宗助の頭にも、御米の胸にも宿らなかった。利害の打算から云えば無論の事、単に隣人の交際とか情誼《じょうぎ》とか云う点から見ても、夫婦はこれよりも前進する勇気を有《も》たなかったのである。もし自然がこのままに無為《むい》の月日を駆《か》ったなら、久しからぬうちに、坂井は昔の坂井になり、宗助は元の宗助になって、崖の上と崖の下に互の家が懸《か》け隔《へだた》る
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