かく刈り込んだのを生やして、ただ頬《ほお》から腮《あご》を奇麗《きれい》に蒼《あお》くしていた。
「いやどうもとんだ御手数《ごてかず》で」と主人は眼尻《めじり》に皺《しわ》を寄せながら礼を述べた。米沢《よねざわ》の絣《かすり》を着た膝《ひざ》を板の間に突いて、宗助からいろいろ様子を聞いている態度が、いかにも緩《ゆっ》くりしていた。宗助は昨夕《ゆうべ》から今朝へかけての出来事を一通り掻《か》い撮《つま》んで話した上、文庫のほかに何か取られたものがあるかないかを尋ねて見た。主人は机の上に置いた金時計を一つ取られた由《よし》を答えた。けれどもまるで他《ひと》のものでも失《な》くなした時のように、いっこう困ったと云う気色《けしき》はなかった。時計よりはむしろ宗助の叙述の方に多くの興味を有《も》って、泥棒が果して崖を伝って裏から逃げるつもりだったろうか、または逃げる拍子《ひょうし》に、崖から落ちたものだろうかと云うような質問を掛けた。宗助は固《もと》より返答ができなかった。
 そこへ最前の仲働が、奥から茶や莨《たばこ》を運んで来たので、宗助はまた帰りはぐれた。主人はわざわざ座蒲団《ざぶとん》まで
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