「さあもう起きてちょうだい」に変るだけであった。しかし今日は昨夕《ゆうべ》の事が何となく気にかかるので、御米の迎《むかえ》に来ないうち宗助は床を離れた。そうして直《すぐ》崖下の雨戸を繰った。
下から覗《のぞ》くと、寒い竹が朝の空気に鎖《とざ》されてじっとしている後《うしろ》から、霜《しも》を破る日の色が射して、幾分か頂《いただき》を染めていた。その二尺ほど下の勾配《こうばい》の一番急な所に生えている枯草が、妙に摺《す》り剥《む》けて、赤土の肌を生々《なまなま》しく露出した様子に、宗助はちょっと驚ろかされた。それから一直線に降《お》りて、ちょうど自分の立っている縁鼻《えんばな》の土が、霜柱を摧《くだ》いたように荒れていた。宗助は大きな犬でも上から転がり落ちたのじゃなかろうかと思った。しかし犬にしてはいくら大きいにしても、余り勢が烈し過ぎると思った。
宗助は玄関から下駄を提《さ》げて来て、すぐ庭へ下りた。縁の先へ便所が折れ曲って突き出しているので、いとど狭い崖下が、裏へ抜ける半間ほどの所はなおさら狭苦しくなっていた。御米は掃除屋《そうじや》が来るたびに、この曲り角を気にしては、
「あす
前へ
次へ
全332ページ中114ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング