日曜の土産《みやげ》に家《うち》へ帰って寝《ね》ようと云う気になった。彼は年来東京の空気を吸って生きている男であるのみならず、毎日役所の行通《ゆきかよい》には電車を利用して、賑《にぎ》やかな町を二度ずつはきっと往《い》ったり来たりする習慣になっているのではあるが、身体《からだ》と頭に楽《らく》がないので、いつでも上《うわ》の空《そら》で素通りをする事になっているから、自分がその賑やかな町の中に活《い》きていると云う自覚は近来とんと起った事がない。もっとも平生《へいぜい》は忙がしさに追われて、別段気にも掛からないが、七日《なのか》に一返《いっぺん》の休日が来て、心がゆったりと落ちつける機会に出逢《であ》うと、不断の生活が急にそわそわした上調子《うわちょうし》に見えて来る。必竟《ひっきょう》自分は東京の中に住みながら、ついまだ東京というものを見た事がないんだという結論に到着すると、彼はそこにいつも妙な物|淋《さび》しさを感ずるのである。
そう云う時には彼は急に思い出したように町へ出る。その上|懐《ふところ》に多少|余裕《よゆう》でもあると、これで一つ豪遊でもしてみようかと考える事もある。
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