疲れた人のように鼾《いびき》をかいた。この間から頭の具合がよくないため、寝付《ねつき》の悪いのを苦にしていた御米は、時々眼を開けて薄暗い部屋を眺《なが》めた。細い灯《ひ》が床の間の上に乗せてあった。夫婦は夜中《よじゅう》灯火《あかり》を点《つ》けておく習慣がついているので、寝る時はいつでも心《しん》を細目にして洋灯《ランプ》をここへ上げた。
 御米は気にするように枕の位置を動かした。そうしてそのたびに、下にしている方の肩の骨を、蒲団《ふとん》の上で滑《すべ》らした。しまいには腹這《はらばい》になったまま、両肱《りょうひじ》を突いて、しばらく夫の方を眺めていた。それから起き上って、夜具の裾《すそ》に掛けてあった不断着を、寝巻《ねまき》の上へ羽織《はお》ったなり、床の間の洋灯を取り上げた。
「あなたあなた」と宗助の枕元へ来て曲《こご》みながら呼んだ。その時夫はもう鼾をかいていなかった。けれども、元の通り深い眠《ねむり》から来る呼吸《いき》を続けていた。御米はまた立ち上って、洋灯を手にしたまま、間《あい》の襖《ふすま》を開けて茶の間へ出た。暗い部屋が茫漠《ぼんやり》手元の灯に照らされた時、御
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