の取越苦労をした。夜になると夫婦とも炬燵《こたつ》にばかり親しんだ。そうして広島や福岡の暖かい冬を羨《うら》やんだ。
「まるで前の本多さんみたようね」と御米が笑った。前の本多さんと云うのは、やはり同じ構内《かまえうち》に住んで、同じ坂井の貸家を借りている隠居夫婦であった。小女《こおんな》を一人使って、朝から晩までことりと音もしないように静かな生計《くらし》を立てていた。御米が茶の間で、たった一人|裁縫《しごと》をしていると、時々|御爺《おじい》さんと云う声がした。それはこの本多の御婆さんが夫を呼ぶ声であった。門口《かどぐち》などで行き逢うと、丁寧《ていねい》に時候の挨拶《あいさつ》をして、ちと御話にいらっしゃいと云うが、ついぞ行った事もなければ、向うからも来た試《ためし》がない。したがって夫婦の本多さんに関する知識は極《きわ》めて乏しかった。ただ息子が一人あって、それが朝鮮の統監府《とうかんふ》とかで、立派な役人になっているから、月々その方の仕送《しおくり》で、気楽に暮らして行かれるのだと云う事だけを、出入《でいり》の商人のあるものから耳にした。
「御爺さんはやっぱり植木を弄《いじ》っ
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