声だの、ハーモニカの節だの、按摩《あんま》の笛《ふえ》の音だのを挙げたいと思います。凡《すべ》て声は聴いているうちにすぐ消えるのが常です。だから其所《そこ》には現在がすぐ過去に変化する無常の観念が潜《ひそ》んでいます。そうして其過去が過去となりつつも、猶《なお》意識の端に幽霊のような朧気《おぼろげ》な姿となって佇立《たたず》んでいて、現在と結び付いているのです。声が一種切り捨てられない夢幻的な情調を構成するのは是が為ではないでしょうか。新内《しんない》とか端唄《はうた》とか歌沢《うたざわ》とか浄瑠璃《じょうるり》とか、凡《すべ》てあなたのよく道具に使われる音楽が、其上に専門的な趣をもって、読者の心を軽く且《か》つ哀れに動かすのは勿論《もちろん》の事ですから申し上げる必要もないでしょう。然《しか》しあまり自分の好尚に溺《おぼ》れて遣《や》り過ぎた痕迹《こんせき》を残したのもないとは云われません。第一編の「硝子《ガラス》問屋」の中にはその筆があまり濃く出過ぎてはいますまいか。
 叙景に於てもあなたは矢張り同じ筆法で読者の眼を朦朧《もうろう》と惹《ひ》き付《つ》ける事が好《すき》であるように
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