に読者の過去を蕩揺《とうよう》する、草双紙とか、薄暗い倉とか、古臭《ふるくさ》い行灯《あんどん》とか、または旧幕時代から連綿とつづいている旧家とか、温泉場とかを第一に挙《あ》げたいと思います。過去はぼんやりしたものです。そうして何処《どこ》かに懐《なつ》かしい匂いを持っています。あなたはそれを巧《たくみ》に使いこなして居るのでしょう。
単に歴史上の過去ばかりではありません、あなたは自分の幼時の追憶を、今から回顧して忘れられない美くしい夢のように叙述しています。私は一、二、三、四、と段々読んで行くうちに此種の情調が、私の周囲を蜘蛛《くも》の糸の如く取り巻いて、散文的な私を、何時《いつ》の間にか夢幻の世界に連れ込んで行ったのをよく記憶しています。私の心は次第々々に其中に引き込まれて、遂に「珊瑚樹《さんごじゅ》の根付《ねつけ》」迄行って全くあなたの為に擒《とりこ》にされて仕舞ったのです。だから幼時の記憶として其儘《そのまま》を叙述していない「夷講《えびすこう》の夜の事であった」に至って却《かえ》って失望しようとしたのです。
私は此種の筆致《ひっち》を解剖して第二番目に遠くに聞こえる物売の
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