なぜ》ぼうっとしているかというと、あなたの筆が充分に冴《さ》えているに拘《かか》わらず、あなたの描く景色なり、小道具なりが、朧月《おぼろづき》の暈《かさ》のように何等か詩的な聯想《れんそう》をフリンジに帯びて、其本体と共に、読者の胸に流れ込むからです。私は特に流れ込むという言葉を此所《ここ》に用いました。もともと淡い影のような像ですから、胸を突つくのでも、鋭く刺すのでもない様です。あなたの書いたもののうちには、人が気狂《きちがい》になる所があります。人が短刀で自殺する所も、短銃《ピストル》で死ぬ所もあります。是等《これら》は大概裏から書くか、又は極《ごく》簡単に叙し去って仕舞《しま》われるので、当り前の場合でも、それ程苦痛に近い強烈な刺戟《しげき》を読者に与えないかも知れませんが、それでも、若《も》し以上に述べたような詩的の雰囲気《ふんいき》の中で事が起らなかったなら、ああした淡い好い感じは与えられますまい。
 此ぼうっとした印象が、美的な快感を損《そこな》わない程度の軽い哀愁として、読者の胸にいつの間にか忍び込む理由を、客観的に翻訳すると色々な物象として排列されます。其内で私は歴史的
前へ 次へ
全9ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング