話題が再び夫婦の間《あいだ》に戻って来たのは晩食《ゆうめし》が済んで津田がまだ自分の室へ引き取らない宵《よい》の口《くち》であった。
「厭《いや》ね、切るなんて、怖《こわ》くって。今までのようにそっとしておいたってよかないの」
「やっぱり医者の方から云うとこのままじゃ危険なんだろうね」
「だけど厭だわ、あなた。もし切り損ないでもすると」
 細君は濃い恰好《かっこう》の好い眉《まゆ》を心持寄せて夫を見た。津田は取り合ずに笑っていた。すると細君が突然気がついたように訊《き》いた。
「もし手術をするとすれば、また日曜でなくっちゃいけないんでしょう」
 細君にはこの次の日曜に夫と共に親類から誘われて芝居見物に行く約束があった。
「まだ席を取ってないんだから構やしないさ、断わったって」
「でもそりゃ悪いわ、あなた。せっかく親切にああ云ってくれるものを断《ことわ》っちゃ」
「悪かないよ。相当の事情があって断わるんなら」
「でもあたし行きたいんですもの」
「御前は行きたければおいでな」
「だからあなたもいらっしゃいな、ね。御厭《おいや》?」
 津田は細君の顔を見て苦笑を洩《も》らした。

     
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