のが常のようになっていた彼は、例の調子で「うん買ってやるさ」と云った。
「じゃ自動車、ね」
「自動車は少し大き過ぎるな」
「なに小さいのさ。七円五十銭のさ」
七円五十銭でも津田にはたしかに大き過ぎた。彼は何にも云わずに歩き出した。
「だってこの前もその前も買ってやるっていったじゃないの。小父《おじ》さんの方があの玉子を出す人よりよっぽど嘘吐《うそつ》きじゃないか」
「あいつは玉子は出すが鶏《とり》なんか出せやしないんだよ」
「どうして」
「どうしてって、出せないよ」
「だから小父さんも自動車なんか買えないの」
「うん。――まあそうだ。だから何かほかのものを買ってやろう」
「じゃキッドの靴さ」
毒気を抜かれた津田は、返事をする前にまた黙って一二間歩いた。彼は眼を落して真事《まこと》の足を見た。さほど見苦しくもないその靴は、茶とも黒ともつかない一種変な色をしていた。
「赤かったのを宅《うち》でお父さんが染めたんだよ」
津田は笑いだした。藤井が子供の赤靴を黒く染めたという事柄《ことがら》が、何だか彼にはおかしかった。学校の規則を知らないで拵《こし》らえた赤靴を規則通りに黒くしたのだとい
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