の津田は、既定されたプログラムの順序として、まず小林に会わなければならなかった。約束の日が来た時、お延から入用《いりよう》の金を受け取った彼は笑いながら細君を顧みた。
「何だか惜しいな、あいつにこれだけ取られるのは」
「じゃ止《よ》した方が好いわ」
「おれも止したいよ」
「止したいのになぜ止せないの。あたしが代りに行って断って来て上げましょうか」
「うん、頼んでもいいね」
「どこであの人にお逢《あ》いになるの。場所さえおっしゃれば、あたし行って上げるわ」
 お延が本気かどうかは津田にも分らなかった。けれどもこういう場合に、大丈夫だと思ってつい笑談《じょうだん》に押すと、押したこっちがかえって手古摺《てこず》らせられるくらいの事は、彼に困難な想像ではなかった。お延はいざとなると口で云った通りを真面《まとも》に断行する女であった。たとい違約であろうとあるまいと、津田を代表して、小林を撃退する役割なら進んで引き受けないとも限らなかった。彼は危険区域へ踏み込まない用心をして、わざと話を不真面目《ふまじめ》な方角へ流してしまった。
「お前は見かけに寄らない勇気のある女だね」
「これでも自分じゃあ
前へ 次へ
全746ページ中589ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング