ねた銘仙《めいせん》の褞袍《どてら》を出して夫の前へ置いた。
「ちょっと着てみてちょうだい。まだ圧《おし》が好く利《き》いていないかも知れないけども」
 津田は煙《けむ》に巻かれたような顔をして、黒八丈《くろはちじょう》の襟《えり》のかかった荒い竪縞《たてじま》の褞袍《どてら》を見守《みま》もった。それは自分の買った品でもなければ、拵《こしら》えてくれと誂《あつら》えた物でもなかった。
「どうしたんだい。これは」
「拵えたのよ。あなたが病院へ入る時の用心に。ああいう所で、あんまり変な服装《なり》をしているのは見っともないから」
「いつの間に拵えたのかね」
 彼が手術のため一週間ばかり家《うち》を空《あ》けなければならないと云って、その訳をお延に話したのは、つい二三日前《にさんちまえ》の事であった。その上彼はその日から今日《きょう》に至るまで、ついぞ針を持って裁物板《たちものいた》の前に坐《すわ》った細君の姿を見た事がなかった。彼は不思議の感に打たれざるを得なかった。お延はまた夫のこの驚きをあたかも自分の労力に対する報酬のごとくに眺めた。そうしてわざと説明も何も加えなかった。
「布《きれ
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