、かえって津田から注意されるのを回避するのだとも取れた。単に津田ばかりでなく、お互に注意され合う苦痛を憚《はば》かって、わざとそっぽへ眼を落しているらしくも見えた。
 この陰気な一群《いちぐん》の人々は、ほとんど例外なしに似たり寄ったりの過去をもっているものばかりであった。彼らはこうして暗い控室の中で、静かに自分の順番の来るのを待っている間に、むしろ華《はな》やかに彩《いろど》られたその過去の断片のために、急に黒い影を投げかけられるのである。そうして明るい所へ眼を向ける勇気がないので、じっとその黒い影の中に立ち竦《すく》むようにして閉《と》じ籠《こも》っているのである。
 津田は長椅子の肱掛《ひじかけ》に腕を載《の》せて手を額にあてた。彼は黙祷《もくとう》を神に捧げるようなこの姿勢のもとに、彼が去年の暮以来この医者の家で思いがけなく会った二人の男の事を考えた。
 その一人は事実彼の妹婿《いもとむこ》にほかならなかった。この暗い室の中で突然彼の姿を認めた時、津田は吃驚《びっくり》した。そんな事に対して比較的|無頓着《むとんじゃく》な相手も、津田の驚ろき方が反響したために、ちょっと挨拶《あ
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