帰って貰った彼の後姿《うしろすがた》を見送った津田は、それでももう少しで刻下《こっか》の用を弁ずるために、小林を利用するところであった。「面倒でも帰りにちょっと宅へ寄って、今日来てはいけないとお延に注意してくれ」。こういう言葉がつい口の先へ出かかったのを、彼は驚ろいて、引ッ込ましてしまったのである。もしこれが小林でなかったなら、この際どんなに都合がよかったろうにとさえ実は思ったのである。
 津田が神経を鋭どくして、今来るか今来るかという細かい予期に支配されながら、吉川夫人を刻々に待ち受けている間に、彼の看護婦に渡したお延への手紙は、また彼のいまだ想《おも》いいたらない運命に到着すべく余儀なくされた。
 手紙は彼の命令通り時を移さず車夫の手に渡った。車夫はまた看護婦の命令通り、それを手に持ったまますぐ電車へ乗った。それから教えられた通りの停留所で下りた。そこを少し行って、大通りを例の細い往来へ切れた彼は、何の苦もなくまた名宛《なあて》の苗字《みょうじ》を小綺麗《こぎれい》な二階建の一軒の門札《もんさつ》に見出《みいだ》した。彼は玄関へかかった。そこで手に持った手紙を取次に出たお時に渡した
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