抜いて、津田と黙契を取り換わせているように取れた。薄赤い血潮が覚えずお秀の頬に上《のぼ》った。
「おや」
「今日《こんち》は」
 軽い挨拶《あいさつ》が二人の間に起った。しかしそれが済むと話はいつものように続かなかった。二人とも手持無沙汰《てもちぶさた》に圧迫され始めなければならなかった。滅多《めった》な事の云えないお延は、脇《わき》に抱えて来た風呂敷包を開けて、岡本の貸してくれた英語の滑稽本《こっけいぼん》を出して津田に渡した。その指の先には、お秀が始終《しじゅう》腹の中で問題にしている例の指輪が光っていた。
 津田は薄い小型な書物を一つ一つ取り上げて、さらさら頁《ページ》を翻《ひるが》えして見たぎりで、再びそれを枕元へ置いた。彼はその一行さえ読む気にならなかった。批評を加える勇気などはどこからも出て来なかった。彼は黙っていた。お延はその間にまたお秀と二言三言《ふたことみこと》ほど口を利《き》いた。それもみんな彼女の方から話しかけて、必要な返事だけを、云わば相手の咽喉《のど》から圧《お》し出したようなものであった。
 お延はまた懐中《ふところ》から一通の手紙を出した。
「今|来《き》
前へ 次へ
全746ページ中382ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング