で、単に口先の云い前と思わなければならなかった。父がまた何で彼に対してそんなしらじらしい他人行儀を云って寄こしたものだろう。叱るならもっと男らしく叱ったらよさそうなものだのに。
 彼は沈吟《ちんぎん》して考えた。山羊髯《やぎひげ》を生《は》やして、万事にもったいをつけたがる父の顔、意味もないのに束髪《そくはつ》を嫌《きら》って髷《まげ》にばかり結《ゆ》いたがる母の頭、そのくらいの特色はこの場合を解釈する何の手がかりにもならなかった。
「いったい兄さんが約束通りになさらないから悪いのよ」とお秀が云った。事件以後何度となく彼女のよって繰り返されるこの言葉ほど、津田の聞きたくないものはなかった。約束通りにしないのが悪いくらいは、妹に教わらないでも、よく解っていた。彼はただその必要を認めなかっただけなのである。そうしてその立場を他《ひと》からも認めて貰いたかったのである。
「だってそりゃ無理だわ」とお秀が云った。「いくら親子だって約束は約束ですもの。それにお父さんと兄さんだけの事なら、どうでもいいでしょうけれども」
 お秀には自分の良人《おっと》の堀がそれに関係しているという事が一番重要な問題
前へ 次へ
全746ページ中345ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング