「だからあたしの方じゃ先刻《さっき》から用は今度《こんだ》の次にしようかと云ってるんじゃありませんか。それを兄さんがわざわざ催促するようにおっしゃるから、ついお話しする気にもなるんですわ」
「だから遠慮なく話したらいいじゃないか。どうせお前はそのつもりで来たんだろう」
「だって、兄さんがそんな厭《いや》な顔をなさるんですもの」
お秀は少くとも兄に対してなら厭な顔ぐらいで会釈《えしゃく》を加える女ではなかった。したがって津田も気の毒になるはずがなかった。かえって妹の癖に余計な所で自分を非難する奴だぐらいに考えた。彼は取り合わずに先へ通《とお》り過《こ》した。
「また京都から何か云って来たのかい」
「ええまあそんなところよ」
津田の所へは父の方から、お秀の許《もと》へは母の側《がわ》から、京都の消息が重《おも》に伝えられる事にほぼきまっていたので、彼は文通の主を改めて聞く必要を認めなかった。しかし目下の境遇から云って、お秀の母から受け取ったという手紙の中味にはまた冷淡であり得るはずがなかった。二度目の請求を京都へ出してから以後の彼は、絶えず送金の有無《うむ》を心のうちで気遣《きづか》
前へ
次へ
全746ページ中341ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング