うんだ」
 彼は開いた手紙を、そのまま火鉢《ひばち》の向う側にいるお延の手に渡した。御延はまた何も云わずにそれを受取ったぎり、別に読もうともしなかった。この冷かな細君の態度を津田は最初から恐れていたのであった。
「なにそんな家賃なんぞ当《あて》にしないだって、送ってさえくれようと思えばどうにでも都合はつくのさ。垣根を繕うたっていくらかかるものかね。煉瓦《れんが》の塀《へい》を一丁も拵《こしら》えやしまいし」
 津田の言葉に偽《いつわり》はなかった。彼の父はよし富裕でないまでも、毎月《まいげつ》息子《むすこ》夫婦のためにその生計の不足を補ってやるくらいの出費に窮する身分ではなかった。ただ彼は地味な人であった。津田から云えば地味過ぎるぐらい質素であった。津田よりもずっと派出《はで》好きな細君から見ればほとんど無意味に近い節倹家であった。
「御父さまはきっと私達《わたしたち》が要らない贅沢《ぜいたく》をして、むやみに御金をぱっぱっと遣《つか》うようにでも思っていらっしゃるのよ。きっとそうよ」
「うんこの前京都へ行った時にも何だかそんな事を云ってたじゃないか。年寄はね、何でも自分の若い時の生計
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