の手がただ器械的に動くだけであった。彼は自分の手元も見なければ、またお延の顔も見なかった。ぼんやり細君のよそ行着《ゆきぎ》の荒い御召《おめし》の縞柄《しまがら》を眺めながら独《ひと》りごとのように云った。
「困るな」
「どうなすったの」
「なに大した事じゃない」
見栄《みえ》の強い津田は手紙の中に書いてある事を、結婚してまだ間もない細君に話したくなかった。けれどもそれはまた細君に話さなければならない事でもあった。
七
「今月はいつも通り送金ができないからそっちでどうか都合しておけというんだ。年寄はこれだから困るね。そんならそうともっと早く云ってくれればいいのに、突然金の要《い》る間際《まぎわ》になって、こんな事を云って来て……」
「いったいどういう訳なんでしょう」
津田はいったん巻き収めた手紙をまた封筒から出して膝《ひざ》の上で繰り拡げた。
「貸家が二軒先月末に空《あ》いちまったんだそうだ。それから塞《ふさ》がってる分からも家賃が入って来ないんだそうだ。そこへ持って来て、庭の手入だの垣根の繕《つくろ》いだので、だいぶ臨時費が嵩《かさ》んだから今月は送れないって云
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