い事を誰も訊《き》いていやしないんだから」
津田はとうとう口を開くべく余儀なくされた。
「お返事ができない訳でもありませんけれども、あんまり問題が漠然《ばくぜん》としているものですから……」
「じゃ仕方がないから私の方で云いましょうか。よござんすか」
「どうぞそう願います」
「あなたは」と云いかけた夫人はこの時ちょっと言葉を切ってまた継《つ》いだ。
「本当によござんすか。――あたしはこういう無遠慮な性分《しょうぶん》だから、よく自分の思ったままをずばずば云っちまった後《あと》で、取り返しのつかない事をしたと後悔する場合がよくあるんですが」
「なに構いません」
「でももしか、あなたに怒られるとそれっきりですからね。後でいくら詫《あや》まっても追《おっ》つかないなんて馬鹿はしたくありませんもの」
「しかし私の方で何とも思わなければそれでいいでしょう」
「そこさえ確かなら無論いいのよ」
「大丈夫です。偽《うそ》だろうが本当だろうが、奥さんのおっしゃる事ならけっして腹は立てませんから、遠慮なさらずに云って下さい」
すべての責任を向うに背負《しょ》わせてしまう方が遥《はる》かに楽だと考えた津田は、こう受け合った後で、催促するように夫人を見た。何度となく駄目《だめ》を押して保険をつけた夫人はその時ようやく口を開いた。
「もし間違ったら御免遊ばせよ。あなたはみんなが考えている通り、腹の中ではそれほど延子さんを大事にしていらっしゃらないでしょう。秀子さんと違って、あたしは疾《と》うからそう睨《にら》んでいるんですが、どうです、あたしの観測はあたりませんかね」
津田は何ともなかった。
「無論です。だから先刻《さっき》申し上げたじゃありませんか。そんなにお延を大事にしちゃいませんて」
「しかしそれは御挨拶《ごあいさつ》におっしゃっただけね」
「いいえ私は本当のところを云ったつもりです」
夫人は断々乎《だんだんこ》として首肯《うけが》わなかった。
「ごまかしっこなしよ。じゃ後《あと》を云ってもよござんすか」
「ええどうぞ」
「あなたは延子さんをそれほど大事にしていらっしゃらないくせに、表ではいかにも大事にしているように、他《ひと》から思われよう思われようとかかっているじゃありませんか」
「お延がそんな事でも云ったんですか」
「いいえ」と夫人はきっぱり否定した。「あなたが云ってるだけよ。あなたの様子なり態度なりがそれだけの事をちゃんとあたしに解るようにして下さるだけよ」
夫人はそこでちょっと休んだ。それから後を付けた。
「どうですあたったでしょう。あたしはあなたがなぜそんな体裁《ていさい》を作っているんだか、その原因までちゃんと知ってるんですよ」
百三十六
津田は今日までこういう種類の言葉をまだ夫人の口から聴《き》いた事がなかった。自分達夫婦の仲を、夫人が裏側からどんな眼で観察しているだろうという問題について、さほど神経を遣《つか》っていなかった彼は、ようやくそこに気がついた。そんならそうと早く注意してくれればいいのにと思いながら、彼はとにかく夫人の鑑定なり料簡《りょうけん》なりをおとなしく結末まで聴くのが上分別《じょうふんべつ》だと考えた。
「どうぞ御遠慮なく何でもみんな云って下さい。私の向後《こうご》の心得にもなる事ですから」
途中まで来た夫人は、たとい津田から誘われないでも、もうそこで止《と》まる訳に行かないので、すぐ残りのものを津田の前に投げ出した。
「あなたは良人《うち》や岡本の手前があるので、それであんなに延子さんを大事になさるんでしょう。もっと露骨なのがお望みなら、まだ露骨にだって云えますよ。あなたは表向《おもてむき》延子さんを大事にするような風をなさるのね、内側はそれほどでなくっても。そうでしょう」
津田は相手の観察が真逆《まさか》これほど皮肉な点まで切り込んで来ていようとは思わなかった
「私の性質なり態度なりが奥さんにそう見えますか」
「見えますよ」
津田は一刀《ひとかたな》で斬られたと同じ事であった。彼は斬られた後《あと》でその理由を訊《き》いた。
「どうして? どうしてそう見えるんですか」
「隠さないでもいいじゃありませんか」
「別に隠すつもりでもないんですが……」
夫人は自分の推定が十の十まであたったと信じてかかった。心の中《うち》でその六だけを首肯《うけが》った津田の挨拶《あいさつ》は、自然どこかに曖昧《あいまい》な節《ふし》を残さなければならなかった。それがこの場合誤解の種になるのは見やすい道理であった。夫人はどこまでも同じ言葉を繰り返して、津田を自分の好きな方角へのみ追い込んだ。
「隠しちゃ駄目よ。あなたが隠すと後が云えなくなるだけだから」
津田は是非その後を聴きたかった。その後
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