きょう》までその意味が解らずに、まだ五里霧中に彷徨《ほうこう》していた。そこへお延の結婚問題が起った。夫人は再び第二の恋愛事件に関係すべく立ち上った。そうして夫と共に、表向《おもてむき》の媒妁人として、綺麗《きれい》な段落をそこへつけた。
その時の夫人の様子を細《こま》かに観察した津田はなるほどと思った。
「おれに対する賠償《ばいしょう》の心持だな」
彼はこう考えた。彼は未来の方針を大体の上においてこの心持から割り出そうとした。お延と仲善《なかよ》く暮す事は、夫人に対する義務の一端だと思い込んだ。喧嘩《けんか》さえしなければ、自分の未来に間違はあるまいという鑑定さえ下した。
こういう心得に万《ばん》遺※[#「竹かんむり/弄」、第3水準1−89−64]《いさん》のあるはずはないと初手《しょて》からきめてかかって吉川夫人に対している津田が、たとい遠廻しにでもお延を非難する相手の匂《にお》いを嗅《か》ぎ出した以上、おやと思うのは当然であった。彼は夫人に気に入るように自分の立場を改める前に、まず確かめる必要があった。
「私がお延を大事にし過ぎるのが悪いとおっしゃるほかに、お延自身に何か欠点でもあるなら、御遠慮なく忠告していただきたいと思います」
「実はそれで上ったのよ、今日は」
この言葉を聴《き》いた時、津田の胸は夫人の口から何が出て来るかの好奇心に充《み》ちた。夫人は語を継《つ》いだ。
「これは私《あたし》でないと面《めん》と向って誰もあなたに云えない事だと思うから云いますがね。――お秀さんに智慧《ちえ》をつけられて来たと思っては困りますよ。また後でお秀さんに迷惑をかけるようだと、私がすまない事になるんだから、よござんすか。そりゃお秀さんもその事でわざわざ来たには違《ちがい》ないのよ。しかし主意は少し違うんです。お秀さんは重《おも》に京都の方を心配しているの。無論京都はあなたから云えばお父さんだから、けっして疎略にはできますまい。ことに良人《うち》でもああしてお父さんにあなたの世話を頼まれていて見ると、黙って放《ほう》ってもおく訳にも行かないでしょう。けれどもね、つまりそっちは枝で、根は別にあるんだから、私は根から先へ療治した方が遥《はる》かに有効だと思うんです。でないと今度《こんだ》のような行違《いきちがい》がまたきっと出て来ますよ。ただ出て来るだけならよござんすけれども、そのたんびにお秀さんがやって来るようだと、私も口を利《き》くのに骨が折れるだけですからね」
夫人のいう禍《わざわい》の根というのはたしかにお延の事に違なかった。ではその根をどうして療治しようというのか。肉体上の病気でもない以上、離別か別居を除いて療治という言葉はたやすく使えるものでもないのにと津田は考えた。
百三十五
津田はやむをえず訊《き》いた。
「要するにどうしたらいいんです」
夫人はこの子供らしい質問の前に母らしい得意の色を見せた。けれどもすぐ要点へは来なかった。彼女はそこだと云わぬばかりにただ微笑した。
「いったいあなたは延子さんをどう思っていらっしゃるの」
同じ問が同じ言葉で昨日《きのう》かけられた時、お秀に何と答えたかを津田は思い出した。彼は夫人に対する特別な返事を用意しておかなかった。その代り何とでも答えられる自由な地位にあった。腹蔵《ふくぞう》のないところをいうと、どうなりとあなたの好きなお返事を致しますというのが彼の胸中であった。けれども夫人の頭にあるその好きな返事は、全く彼の想像のほかにあった。彼はへどもどするうちににやにやした。勢い夫人は一歩前へ進んで来る事になった。
「あなたは延子さんを可愛がっていらっしゃるでしょう」
ここでも津田の備えは手薄であった。彼は冗談半分《じょうだんはんぶん》に夫人をあしらう事なら幾通《いくとおり》でもできた。しかし真面目《まじめ》に改まった、責任のある答を、夫人の気に入るような形で与えようとすると、その答はけっしてそうすらすら出て来なかった。彼にとって最も都合の好い事で、また最も都合の悪い事は、どっちにでも自由に答えられる彼の心の状態であった。というのは、事実彼はお延を愛してもいたし、またそんなに愛してもいなかったからである。
夫人はいよいよ真剣らしく構えた。そうして三度目の質問をのっぴきさせぬ調子で掛けた。
「私《あたし》とあなただけの間の秘密にしておくから正直に云っとしまいなさい。私の聴《き》きたいのは何でもないんです。ただあなたの思った通りのところを一口伺えばそれでいいんです」
見当《けんとう》の立たない津田はいよいよ迷《まご》ついた。夫人は云った。
「あなたもずいぶんじれったい方《かた》ね。云える事は男らしく、さっさと云っちまったらいいでしょう。そんなむずかし
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