らである。あなた方の法則は universal のものであるが、われわれの方では personal なものの奥に law があるのです。というのは既に出来た作物を読む人々の頭の間をつなぐ共通のあるものがあった時、そこに abstract の law が存在しているという証拠になるのです。personal のものが、universal ではなくても、百人なり二百人なりの読者を得たとき、その読者の頭をつなぐ共通なものが、なくてはならぬ。これが即ち一つの law である。
 文芸は law によって govern されてはいけない。personal である。free である。しからばまるで無茶なものかというと、決してそうではないというのであります。
 かようにあなた方の出発点とわれわれ文芸家の出発点とは違っている。
 そのものの性質よりいえば、われわれの方のものは personal のもので、作物を見て作った人に思い及ぶ。電車の軌道《きどう》は誰が敷いたかと考える必要はないが、芸術家のものでは、誰が作ったということがじき問題になる。従って製作品に対する情緒《じょうしょ》がこれにうつって行って
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