からばわれわれの文芸は法則を全然無視しているかというと、そうでもない。ベルグソンの哲学には一種の法則みたいなものがある。フランスではベルグソンを立場として、フランスの文芸が近頃出て来ている。しかしわれわれの方では sex の問題とか naturalism とか世間に知れわたった法則等から出立《しゅったつ》するものは、その abstraction の輪廓《りんかく》を画いてその中につめこんだのでは、生きて来ない。内から発生した事にならない。拵《こしら》えものになる。即ちわれわれの方面では、abstraction からは出立されないのです。しからば文学者の作ったものから一つの法則を reduce することはできないかというと、それはできる。しかしそれは作者が自然天然《しぜんてんねん》に書いたものを、他の人が見てそれに philosophical の解釈を与えたときに、その作物《さくぶつ》の中からつかみ出されるもので、初めから法則をつかまえてそれから肉をつけるというのではありません。われわれの方でも時には法則が必要です。何故に必要であるかといえば、これがために作物の depth が出てくるか
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