。中は勧工場《かんこうば》のように真中を往来にして、同《おなじ》く勧工場の見世《みせ》に当る所を長屋の上り口にしてある。だから長屋と長屋とは壁一重《かべひとえ》で仕切られながら、約一丁も並んでいるばかりか、三尺の往来を越すとすぐ向うの家《うち》になる。上り口を枕にして寝れば、吸付莨《すいつけたばこ》のやり取りぐらいはできるほど近い。相生さんが先へ立って、この狭い往来を通ると、裁縫《しごと》をしたり、子供を寝かしたりしている神《かみ》さん達が、みんな叮嚀《ていねい》に挨拶《あいさつ》をする。しかし中には気がつかずに何か話しているのも見える。
この部落に住んでいる人間が総《そう》がかりになった上に、その何十倍か何百倍のクーリーを使っても、豆の出盛《でさか》りには持て余すほど荷が後から後からと出てくる。相生さんの話によると、多い時は着荷《ちゃくに》の量が一日ならし五千|噸《トン》あるそうである。これがため去年|雨期《うき》を持ち越した噸数は四万噸で、今年《こんねん》はそれが十五万噸に上《のぼ》ったとか聞いた。
南北千五百尺東西四千二百尺の埠頭《ふとう》の側《そば》にこのくらい豆を積んだら
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