と云った。酔っていたに違ない。
 余はポッケットから注文の薬を出して相手にあてがった。これは二三日前是公といっしょに馬車に乗って、市中を乗り廻した時、是公の御者《ぎょしゃ》から二十銭借りて大連の薬屋で買ったものである。その時は是公の御者に対する態度のすこぶる叮嚀《ていねい》なのに気がついて少しく驚かされた。君ちょっとそこいらの薬屋へ寄って、ゼムを買ってやって下さいと云うんだから非凡である。
 君は御者に対して叮嚀過ぎるよと忠告してやったら、うんあの時の二十銭をまだ払わなかったっけと思い出したように河豚の干物をまた噛っていた。
 是公の御者には廿銭|借《かり》があるだけだが、その別当《べっとう》に至っては全く奇抜である。第一日本人じゃない。辮髪《べんぱつ》を自慢そうに垂らして、黄色の洋袴《ズボン》に羅紗《らしゃ》の長靴を穿《は》いて、手に三尺ほどの払子《ほっす》をぶら下げている。そうして馬の先へ立って駆《か》ける。よくあんな紳士的な服装《なり》をして汗も出さずに走《かけ》られる事だと思うくらいに早く走ける。もっとも足も長かった。身の丈《たけ》は六尺近くある。
 別当と御者はこのくらいにし
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