と少し話しているところへ、また御客があらわれた。ボイの持って来た名刺には東北大学教授|橋本左五郎《はしもとさごろう》とあったので、おやと思った。
 橋本左五郎とは、明治十七年の頃、小石川の極楽水《ごくらくみず》の傍《そば》で御寺の二階を借りていっしょに自炊《じすい》をしていた事がある。その時は間代《まだい》を払って、隔日に牛肉を食って、一等米を焚《た》いて、それで月々二円ですんだ。もっとも牛肉は大きな鍋《なべ》へ汁をいっぱい拵《こしら》えて、その中に浮かして食った。十銭の牛《ぎゅう》を七人で食うのだから、こうしなければ食いようがなかったのである。飯は釜《かま》から杓《しゃく》って食った。高い二階へ大きな釜を揚《あ》げるのは難義であった。余はここで橋本といっしょに予備門へ這入《はい》る準備をした。橋本は余よりも英語や数字において先輩であった。入学試験のとき代数がむずかしくって途方に暮れたから、そっと隣席の橋本から教えて貰って、その御蔭《おかげ》でやっと入学した。ところが教えた方の橋本は見事に落第した。入学をした余もすぐ盲腸炎に罹《かか》った。これは毎晩寺の門前へ売りに来る汁粉《しるこ》を
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