その上犬が来て真水英夫《まみずひでお》の脚絆《きゃはん》を啣《くわ》えて行った。夜が白んで物の色が仄《ほのか》に明るくなった頃、御互の顔を見渡すと、誰も彼も奇麗《きれい》に砂だらけになっている。眼を擦《こす》ると砂が出る。耳を掘《ほじ》くると砂が出る。頭を掻《か》いても砂が出る。七人はそれで江の島へ渡った。その時夜明けの風が島を繞《めぐ》って、山にはびこる樹《き》がさあと靡《なび》いた。すると余の傍《そば》に立っていた是公が何と思ったものか、急にどうだ、あの樹を見ろ、戦々兢々《せんせんきょうきょう》としているじゃないかと云った。
 草木の風に靡《なび》く様を戦々兢々と真面目《まじめ》に形容したのは是公が嚆矢《はじめ》なので、それから当分の間は是公の事を、みんなが戦々兢々と号していた。当人だけは、いまだに戦々兢々で差支《さしつか》えないと信じているかも知れないんだから、ゼントルメン大いに飲みましょうも、この際亜米利加語として士官側に通用したと心得ているんだろう。通じた証拠《しょうこ》には胴上にしたじゃないかくらい、酔《よ》うと云いかねない男である。

        十三

 昨夕は川崎
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