うか総裁とごいっしょのように伺いましたがと云われる。船が動き出すと、事務長の佐治君《さじくん》が総裁と同じ船でおいでになると聞いていましたがと聞かれる。船長さんにサルーンの出口で出逢《であ》うと総裁と御同行のはずだと誰か云ってたようでしたがと質問を受ける。こうみんなが総裁総裁と云うと是公《ぜこう》と呼ぶのが急に恐ろしくなる。仕方がないから、ええ総裁といっしょのはずでしたが、ええ総裁と同じ船に乗る約束でしたがと、たちまち二十五年来用い慣れた是公を倹約し始めた。この倹約は鉄嶺丸に始まって、大連から満洲一面に広がって、とうとう安東県《あんとうけん》を経《へ》て、韓国《かんこく》にまで及んだのだから少からず恐縮した。総裁という言葉は、世間にはどう通用するか知らないが、余が旧友|中村是公《なかむらぜこう》を代表する名詞としては、あまりにえら過ぎて、あまりに大袈裟《おおげさ》で、あまりに親しみがなくって、あまりに角《かど》が出過ぎている。いっこう味《あじわい》がない。たとい世間がどう云おうと、余一人はやはり昔の通り是公是公と呼《よ》び棄《す》てにしたかったんだが、衆寡敵《しゅうかてき》せず、やむを
前へ 次へ
全178ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング