持ってないか知らないくらいである。いくら大連がハイカラだって、東京を立つ時に、この古燕尾服が役に立とうとは思いがけないから、やっぱり箪笥の底にしまったなりで出て来た。じゃ、おれの袴《はかま》羽織《はおり》を貸してやるから、日本服で出ろ、出て、まあ、どんな容子《ようす》だか見るが好いと、是公は何でも引《ひ》き摺《ず》り出そうとする。いっそ出るくらいなら踊らなくっちゃつまらないから、日本服ならまあ止《よ》そうと云いたかったが、是公は正直だから本当にすると好くないと思って、ただ羽織袴はいけないよと断った。是公はそれでも舞踏会を見せる気と見えて、翌日《あくるひ》の午《ひる》、社の二階で上田君を捕《つらま》えて、君の燕尾服をこいつに貸してやらないか、君のならちょうど合いそうだと云っていた。上田君もこの突然な相談には辟易《へきえき》したに違ない。笑いながら、いえ私のは誰にも合いませんと謙遜《けんそん》された。
舞踏会はそれですんだが、しばらくすると、今度はこれから倶楽部《クラブ》に連れて行ってやろうと、例のごとく連れて行ってやろうを出し始めた。だいぶ遅いようだとは思ったが、座にある国沢君も、行こ
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