ってるかも知れないと云う話であった。
 そのうち広い部屋がようやく暗くなりかけた。じゃどこぞ宿屋へでも行って待ちましょうと云うと、社の宿屋ですから、やっぱり大和《やまと》ホテルがいいでしょうと、沼田さんが親切に自分で余をホテルまで案内してくれた。

        六

 湯を立ててもらって、久しぶりに塩気《しおけ》のない真水《まみず》の中に長くなって寝ている最中に、湯殿の戸をこつこつ叩《たた》くものがある。風呂場で訪問を受けた試《ため》しはいまだかつてないんだから、湯槽《ゆぶね》の中で身を浮かしながら少々|逡巡《しゅんじゅん》していると、叩く方ではどうあっても訪問の礼を尽くさねばやまぬという決心と見えて、なおのこと、こつこつやる。いくらこつこつやったって、まさか赤裸《はだか》で飛び出して、室《へや》の錠《じょう》を明ける訳にも行かないから、風呂の中から大きな声で、おい何だと用事を聞いて見た。すると摺硝子《すりガラス》の向側《むこうがわ》で、ちょっと明けなさいと云う声がする。この声なら明けても差支《さしつか》えないと思って、身体《からだ》全体から雫《しずく》を垂らしながら、素裸《すっぱ
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