掘り尽くしたと云う評判のある、――評判だから、本当の事は分らないが、この評判があらゆる評判のうちでもっとも巧妙なものと、誰しも認めざるを得ないほどの泥だらけの馬車である。
その中に東京の真中でも容易に見る事のできないくらい、新しい奇麗《きれい》なのが二台あった。御者《ぎょしゃ》が立派なリヴェリーを着て、光った長靴を穿《は》いて、哈爾賓《ハルピン》産の肥えた馬の手綱《たづな》を取って控えていた。佐治さんは、船から河岸へ掛けた橋を渡って、鳴動の中を突き切って、わざわざ余をその奇麗な馬車の傍《そば》まで連れて行った。さあ御乗んなさいと勧めながら、すぐ御者台の方へ向いて、総裁の御宅までと注意を与えた。御者はすぐ鞭《むち》を執《と》った。車は鳴動の中《うち》を揺《ゆる》ぎ出《だ》した。
五
門を這入《はい》って馬車の輪が砂利の上を二三間|軋《きし》ったかと思うと、馬は大きな玄関の前へ来て静かに留まった。石段を上《あが》って、入口の所に立つや否や、色の白い十四五の給仕が、頑丈《がんじょう》な樫《かし》の戸を内から開いて、余の顔を見ながら挨拶《あいさつ》をした。もう御帰りかと
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