それが秘書の沼田《ぬまた》さんだったので、頬杖を突いて、いつまでも鳴動を眺めている余には、大変な好都合になった。沼田さんは今度郷里から呼び迎えられた老人を、自宅へ案内されるために、船まで来られたのだそうだが、同じ鉄嶺丸に余の乗っている事を聞いて、わざわざ刺《し》を通じられたのである。
 じゃホテルの馬車でと沼田さんが佐治さんに話している。河岸《かし》の上を見ると、なるほど馬車が並んでいた。力車《りきしゃ》もたくさんある、ところが力車はみんな鳴動連《めいどうれん》が引くので、内地のに比べるとはなはだ景気が好くない。馬車の大部分もまた鳴動連によって、御《ぎょ》せられている様子である。したがっていずれも鳴動流に汚《きた》ないものばかりであった。ことに馬車に至っては、その昔日露戦争の当時、露助《ろすけ》が大連を引上げる際に、このまま日本人に引渡すのは残念だと云うので、御叮嚀《ごていねい》に穴を掘って、土の中に埋《う》めて行ったのを、チャンが土の臭《におい》を嗅《か》いで歩いて、とうとう嗅ぎあてて、一つ掘っては鳴動させ、二つ掘っては鳴動させ、とうとう大連を縦横《たてよこ》十文字に鳴動させるまでに
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